はじめに

こんにちは。学際的情報科学センターの高野(@mtknnktm)と申します。当社のプロダクトにおけるデータ分析・計算社会科学の研究を業務としています。また、当社の「Tech DE&Iプロジェクト」においてアンケート調査・文献調査なども行っています。

Tech DE&Iプロジェクトではいくつかの場面で社内アンケートを実施しております。
社内アンケートの質問・意見の中に、ジェンダーギャップが発生する理由やその問題点、対抗措置としてのアファーマティブ・アクションに関するものが少なからずありました。
例えば、「ジェンダーギャップは重要な問題であることはわかるが、アファーマティブ・アクションも賛否両論でどのように考えて良いのかよくわからない」などです。
本記事はそれらに対する回答として作成した社内ドキュメントに加筆修正したものです。
なお筆者は計算社会科学の領域で研究活動をしておりますが、多様性尊重・包摂や差別・偏見に関する専門家ではないため、包括的な説明にはなっていない可能性があります。ご注意ください。
参考文献は [著者名+出版年] という形式で参照し、最後に一覧化しています。

ジェンダーギャップが発生する理由

ジェンダーギャップをはじめ社会にはさまざまな「属性に基づく違い」が存在します。最も身近なものとしては、家庭内での性的役割分担(男性は仕事、女性は家事・育児)や、夫婦同姓制度に基づく女性の名字の変更などが挙げられます。男性は理系、女性は文系といったステレオタイプもこれに含まれると言えます。同様のギャップの発生は年齢や人種・民族など様々な属性の違いによって起きています。

このようなギャップを固定化する一つの大きな要因は「慣習」です。例えば、日本における婚姻によって2名の名字をどちらか一方のものにするという制度は、定義上は男女の取り扱いに違いはありません。しかし、現在のところ女性が男性の名字に変更することがほとんどです。

このような慣習や制度の固定化の結果、特定の属性が(意図せず)不公正に取り扱われてしまうことを構造的差別 [Pincus1996] と言います。夫婦同姓の例では、女性が働く上で煩雑な手続きを必要としたり、キャリア形成に悪影響を及ぼしてしまうことが知られています。
構造的差別については以前のブログ記事「多様性尊重と包摂に関する文献調査」もご参照ください。

このようなギャップは本来全く差がなかったとしても発生し固定化します [オコナー2021]。偶然の偏りが増幅され社会的に固定化されてしまうからです。一度発生した構造的差別はマイノリティを更に不利にし、格差をより強固なものにします。一方で、この差別は意図的でなく、違法でもなく、通常通りの振る舞いとして行われているため、対処が困難な問題です [Pincus1996]。

Tech DE&Iプロジェクトの取り組みの1つである「女性エンジニアが少ない」という問題も、社会の構造的な問題に起因する部分が多くあります。例えば、社会に存在する女性への様々なバイアスによって、女性の理系・工学系への進学やエンジニアのための就職活動やその意欲を持つことが抑制されていることが指摘されています(例えば [PISA2018] [Wu2022] [坂田2014])。そのためエンジニアへのキャリアを選択しづらい傾向にあったり、採用面接に合格するための能力獲得が難しいといったことが起こります。結果として「個人の能力を性別に関係なく評価」していても「女性がエンジニアになりづらい」環境につながります。

ジェンダーギャップと性差

もちろん全てにおいて、男女差が全く無いということはありません(わかりやすいものでは体格や寿命など)。ただし性別を理由に採用や選考、配属・昇格・昇給の判断を下すことは男女雇用機会均等法により禁じられております(特別な場合を除く) [厚生労働省2023]。とりわけエンジニア職などのデスクワークに関しては、身体的な特徴の影響は少ないと考えています。また雇用者にとって合理的でなく、被雇用者にとっては理不尽な取り扱いになってしまうため、良い判断であるとは言えません。合理性が明確でなく不透明で不公正な取り扱いが話題になった例としては、東京医大で女子受験者を一律減点していた事案などが挙げられます [読売新聞2021]。

それは、性別などの属性グループ間の差があったとしても個人間の分散が大きいケースも少なくないからです。したがって性別によって取り扱いを分けるのではなく、個人の能力を直接的に評価したほうが適切だと考えられます。明確に性差がある寿命の例で言いますと、日本の平均寿命(2019年)は男性81歳、女性87歳と女性のほうが長寿傾向 [佐藤2022] ですが、90歳以上の高齢者のうち男性も24%存在する [総務省2017] ため「90歳以上は女性である」とみなすことには無理があります。

エンジニアを含め多くの職業は特定の1つの能力のみで業務を遂行するわけではありません。個々人がそれぞれ様々な能力を様々なやり方で複合させて「業務を遂行する能力」を形作っていると言えます。また、求められる「業務を遂行する能力」は時代や場所によって大きく変わります(インターネット関連の業界では特に)。したがって(個々人を評価するのではなく)属性や社会的背景に基づいて適切に判断することは困難であると考えています。

一方で社会的背景・属性に起因する抑圧・機会の損失(構造的差別)は属性に基づく個々人の能力差を生み出してしまいます。
その対策の1つがアファーマティブ・アクションです。

アファーマティブ・アクション

構造的差別をなくすために、不利益を被っている属性グループに対して一時的な優遇措置をとることをアファーマティブ・アクション(積極的是正措置または肯定的差別)と言います。例えば、議員や会社役員の一定割合が女性であることを求めることなどです。前述の通り構造的差別は社会に根付く慣習や偏見によって固定化されているため解消は容易ではありません。それを是正するための力技であると言えます。

社会には女性がエンジニアになりづらいというバイアスが存在していますが、女性エンジニアが増えることで、このバイアスは改善されると予想されます。「エンジニア(または理系)は男性がなるものだ」という社会的なバイアスは軽減されるでしょうし、エンジニアを目指す女性がロールモデルを得やすくなることも考えられます。また女性エンジニアが増えることで開発の現場での制度・ルールや慣行が女性にとっても快適なものになることも考えられます。制度・慣行は現状に合わせて形になっている事が多いため、差別的な意図がなくとも、マジョリティにとって快適で、マイノリティにとって居心地の悪いものになっている可能性があるからです。

アファーマティブ・アクションの限界

アファーマティブ・アクションは構造的差別に対抗する重要な手段ですが、いわば力技ですので副作用も生じます。そのため、アファーマティブ・アクションはこの副作用をよく理解した上で運用する必要があります。

1つは、個々人の能力だけで採用や昇格の判断をしていないため、アファーマティブ・アクションの対象でない属性グループ(いわゆる女性枠であれば男性)にとっては不公平ではないか?という指摘です。この問題は公平性を2つに分解することで整理ができます。それは個人公平性とグループ公平性です [神嶌2019]。ここでは採用場面のジェンダーギャップを例に上げますが、{昇進, 進学, プロジェクトアサイン} 場面での {人種・民族, 学歴} のギャップなども同様です。

エンジニアの面接にて性別を全く考慮せず、能力で選考することは個人間について公平だと言えます(個人公平性)。一方で社会に存在する女性に対する様々な顕在的・潜在的バイアスによって、女性の理系・工学系への進学やエンジニアのための就職活動が抑制されている場合、理工学分野を選考しづらかったり面接に合格するための能力獲得が難しいといったことが発生します。その結果、個人の能力を性別に関係なく評価していても「女性がエンジニアになりづらい」ことに繋がります。これは個人公平性は達成できているが、男女という2つのグループ間での公平性(グループ公平性)が達成できていない状態と言えます。両者を同時に達成することは数理構造として不可能である [神嶌2019] ため、社会的状況などを鑑みてどちらをどのように重視するのかを政治的判断として決める必要があります [中西2021]。アファーマティブ・アクションを肯定的差別(差別的状況を改善するために一時的に容認する差別)とも言うのはそのためです。

例えば、工学部に女性が少ないことは、女性の工学を学ぶ機会を抑制していると言えます [Wu2022]。将来の選択肢を抑制するという意味で倫理的に問題であると言え、また技術者になりえる人を減らしてしまうので経済的な意味でもデメリットがあります。個人公平性に多少目をつぶってでも、グループ公平性を改善しようという試みだと言えます。

このとおりアファーマティブ・アクションは構造的差別が根付いてしまっている現代社会において必要な措置です。しかし個々のケースでは不利益を被ってしまう人も出てくる可能性があるため、注意して運用する必要があります。

もう1つの問題は、優遇措置を受けた個人に対する周囲のネガティブな反応や当人の居心地の悪さです。女性枠のようなアファーマティブ・アクションは「女性」などの大雑把なくくりに対する措置ですので、その意義・メリットともに不整合やデメリットもあります。1つは前述の個人レベルでの公平性の問題です。また、アファーマティブ・アクションのメリットを享受できる人にも偏りがあるという点です。例えば、米国での女性に対するアファーマティブ・アクションでは高学歴・白人女性が主な対象となり黒人女性にとっては恩恵が弱いこと、黒人支援では黒人男性は恩恵を受けやすいが黒人女性はそうではないことなどが指摘されています [清水2021]。「アファーマティブ・アクションの対象になった際の居心地のわるさ」もこれらのようなデメリット・不整合に起因するのではないかと考えられます。

したがってアファーマティブ・アクションの運用にあたっては理由(構造的差別対策)や透明性、限界(万能ではないこと)、一時的な措置であることを社会・組織に広く周知・理解してもらうことが、その居心地の悪さの改善にも繋がるのではないかと考えています。

参考文献